ハナ肇とクレージーキャッツ

芸能界語り部のお話

植木等の「お呼びでない?」が流行語になった1961年M社長は渡辺プロダクションに

入社した。※以下Mと記す

 

初めに営業課に配属されしばらくクレージーキャッツやザ・ピーナッツたちと米軍キャンプ回りをしていたのです。
夜行列車に揺られながら営業で全国に行きました。
当時イベントは現金で前払い制でしたが「後日取りに来てくれ」といったままなんと行方をくらます業者もあった。
ハナ肇さんや植木等さんは「お金が取れそうもない時はステージに出ない」と約束してくれました。

支払われるまでの間クレージーのメンバーは楽屋で麻雀をしており、Mが集金できたら肩を2度叩くのを合図にしていたとのこと。

「困ったことがあったら何でも言えよ」とMに声をかけてくれるいい人ばかりだったそうです。

 

渡辺プロはタレントへの月給制を維持するためにレコード著作権に目をつけた。

1961年8月発売の「スーダラ節」ではじめて原盤権を獲得しました。

 ※原盤権(げんばんけん)とは??

一般に、音楽を録音、編集して完成した音源(いわゆる原盤、マスター音源)に対して発生する権利のこと。著作隣接権の一つである。(簡単にいえばレコーディングのお金を出した人・会社の権利)

翌年に渡辺音楽出版をたちあげ出版権を管理しテレビ制作との2本柱で安定的な収入を得ていきました。

渡辺プロがテレビ局と共同制作した番組には

  • シャボン玉ホリデー
  • ヒットパレード
  • 新春かくし芸大会        他多数

テレビ局と共同制作することによって自社のタレントとコラボしようとしたのですね!!

植木等さんの「スーダラ節」は

植木さんの鼻歌に萩原哲明が作曲し、サラリーマン像を歌詞に込めた青島幸男さんの作品

ついつい口づさみたくなりますね。♬スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ~♪
後方には森進一さん、布施明さんの姿みえますよ。

(5) スーダラ伝説 植木等 スーダラ節/無責任一代男/ドント節/だまって俺について来い/ハイ それまでヨ/スーダラ節 – YouTube

次回はドラマーだったハナ肇さんの話を綴りたいと思います(*^_^*)   続く